マイケル・ジャクソン(ジャクソンズ・ヴィクトリーツアー)


















CBSレコードへの移籍

1975年にジャクソン5CBSレコードとの契約を結ぶ。モータウンの標準印税率が2.5%であったのに対し、CBSレコードはジャクソン5と20%の印税率を約束した。また、CBSでは自作自演・自身の楽器を演奏することが認められた。モータウンジャクソン5に対し契約違反の訴訟を起こすものの、結局ジャクソン5を引き留めることはできなかった。しかしモータウンは「ジャクソン5 (Jackson 5)」の商標を手放さなかったため、CBSレコード所属後はジャクソンズ (The Jacksons) と名乗ることとなった。また、ジャーメインがモータウン(つまり、ゴーディ)に残ることを選択したため、彼に代わって、末弟で当時14歳のランディが新たに加入した。ランディは非公式には1972年からライブでのバックミュージシャンとしてコンガを演奏していた。

ジャクソン5を失ったモータウンは、ベリー・ゴーディが社長を務めた時代には、ジャクソン5以上の成功を収めるミュージシャンを得ることはなかった。ベリー・ゴーディジャクソン5について(ジャクソン5が既にモータウンで最も人気のある存在となった後に)、「(モータウンという)流れ作業の組み立てラインから生まれた最後のビッグスターだった」と語っている[7]。

1976年夏、CBSテレビの重役フレッド・シルバーマンは、ABCのオズモンズに対抗すべく、ジャクソン家の8人(マイケル、マーロン、ティト、ジャッキー、ランディー、レビー、ラトーヤ、ジャネット)とバラエティー・ショーの契約を結ぶ。「ザ・ジャクソンズ (The Jacksons)」は1976年6月16日に放送を開始し、翌年3月まで続いた。この番組はアフリカ系アメリカ人の家族を主演とした最初のバラエティー・ショーであった。

ジャクソンズは、CBS所属時代の前半はフィラデルフィア・インターナショナル・レコードから、のちにはエピック・レコードから「僕はゴキゲン (Enjoy Yourself)」(フィラデルフィア・インターナショナルのケニー・ギャンブルとレオン・ハフによるプロデュース)に代表されるヒットを生み出した。ギャンブルとハフによる2枚のアルバムののち、ジャクソンズは自らプロデュースに乗り出し、1978年にアルバムDestinyを発売する。このアルバムはモータウン後としては最大のヒットシングルで、ビルボード・ホット100の7位、同じくビルボードR&Bシングル・チャート3位となる"Shake Your Body (Down to the Ground)"を収録している。このシングル曲はマイケルとランディの手によるもので、200万枚を売上げダブル・プラチナムを獲得している。Destinyもプラチナ・レコードとなり、ビルボード・ホット200・アルバム・チャートでは最高11位、同R&Bチャートでは3位を記録している。1979年にはハリウッド・ウォーク・オブ・フェームを認定された。

1978年、マイケルはモータウンとユニバーサル映画合作の映画「ウィズ」(オズの魔法使いの改作であるミュージカルの映画化)にダイアナ・ロスなどとともに出演。この映画の作曲をしたクインシー・ジョーンズが翌年、マイケルのエピックからの最初のアルバム「オフ・ザ・ウォール」のプロデュースを担当することになる。1979年発売のこのアルバムは700万枚を売上げ、4つのトップ10、2つのナンバー1シングルを出すという大ヒットとなり、マイケルが最終的にジャクソンズを離れるきっかけのひとつとなった。

しかしマイケルはジャクソンズの活動をその後も続け、1980年には「マイ・ラブリー・ワン (Lovely One)」と"Can You Feel It"の2つのシングルカットのヒット曲を含むアルバムTriumphを発表。さらにその翌年には"Triumph"ツアーのもようを収録したライブアルバムThe Jacksons Live!がゴールド・レコードとなった。1988年にローリングストーン誌は「1967年から1987年のツアー、ベスト25」のひとつにTriumphツアーを数えている。Triumphツアーとアルバムはともに興業的な成功を収めたものの、マイケルの1982年のアルバム「スリラー」の影に完全に隠れることとなってしまう。「スリラー」は歴史上最も多くの売り上げを記録したレコードであり、現在の総売り上げ数は1億400万枚とされる。

1983年5月17日の「モータウン25」 (モータウンの25周年記念コンサートを録画放送した特別番組) がNBCから放送された。その中で、ジャーメインと他の兄弟たちの再結成による演奏があり注目された。1979年のテレビ番組The Midnight Specialへの出演を別とすれば、この (ジャーメインとの) 「ジャクソン5」の再結成は実に7年ぶりのことであった。しかし、この再結成もまた、マイケルのソロパフォーマンスによって曇りがかってしまう。同じコンサートでのマイケルの"Billie Jean"は、初めてムーンウォークを披露した歴史的名演となったのである。

ジャクソンズはその後、ゲストとしてミック・ジャガーを迎えた"State of Shock"を収録したアルバムVictoryを1984年にリリース。Victoryワールド・ツアーを行い大きな成功を得た。このアルバム及びツアーではジャーメインが公式にメンバーに復帰し、6人組としての活動となった。

Victoryツアーのすぐ後、マイケルは「スリラー」及びそのシングルカットの大ヒットを受け、ソロ活動に専念するためにザ・ジャクソンズから脱退する。ジャクソンズの一員としてツアーに参加していたときからソロとしてのマイケルの名は大きくなりつづけていたのである。他の兄弟たち (そのほとんどがマイケルとともにUSAフォー・アフリカの1985年のシングル曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」に参加した) もソロ活動を行うことにしたため、ジャクソンズはいったん解散する。その後1989年に最後のアルバム2300 Jackson Streetで再結成する。このアルバムではラトーヤとマーロンを除くジャクソン家の兄弟姉妹全員が名を連ねたタイトル曲では全米R&Bナンバー9を獲得したが、ほとんどの曲ではジャーメイン、ジャッキー、ティト、ランディの4人のみのクレジットである。このころにはマイケルは世界的な大スターになっており、末妹のジャネットの名声も高まっていたため、ジャクソンズが注目されることはほとんどなくなってしまった。

2004年にはCBS/エピック時代からのベスト・アルバムThe Essential Jacksonsが、また、Universal/Hip-OからThe Jacksons Storyというモータウン時代からのヒット曲を集めたアルバムが相継いで発売された。


●解散後と影響

1990年の解散後、唯一の復活再結成は2001年9月7日ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで行われたマイケルのソロ活動30周年記念ライブにおいてである(この様子は同年11月13日にCBSで特別番組として放送された)。それ以外ではメンバーはそれぞれの活動に焦点をあわせていた。

1980年代、マイケル・ジャクソンは世界の頂点に君臨するミュージック・スターの一人となり、「スリラー」と「バッド」の2つのアルバムは20世紀を代表するヒットとなった。しかし、彼の輝かしい業績はアメリカ国内では1990年代、2000年代にかけて、いくつかの行為によって奇人のレッテルを貼られてしまったこと、2つの刑事事件に発展する未成年への性的虐待事件などによって急速に衰えてしまう。1993年の事件では法廷外での決着となり、2005年の事件ではマイケルに対する嫌疑の全てが取り下げられている。

ジャクソンズ解散後、ジャーメイン・ジャクソンマーロン・ジャクソンはソロ活動を開始したが、マーロンはその後不動産業に転じ、またブラック・ファミリー・チャンネルの共同所有者ともなった。

ティト・ジャクソンは彼の父がしたように、彼の3人の息子たちを3Tの名で音楽グループとしてデビューさせる。3Tは1997年にマイケルをゲストに迎えた"Why"で全英トップ5にランクインする。そのすぐのち、ティトはブルース歌手として控えめなキャリアをスタートさせている。ランディは1989年にソロアルバムを出した後は、専ら兄弟たちを助ける仕事にまわっている。現在ランディはマイケルの公式ウェブサイトmjsource.comのウェブマスターでもある。

ジャクソン5はその後に大きな影響を残した。ジャンルの異なるグループにも影響を及ぼしており、インディーロックのバンドダッシュボード・コンフェッショナル[3]、R&Bのグループニュー・エディション[8]やB5[9]、ボーイ・バンドのハンソン[10]などがジャクソン5からの影響を認めている。しかしその中で特筆すべきなのは1980年代中盤のイギリスの兄弟姉妹グループファイブ・スターであろう。ピアソン家のステッドマン、ドリス、ロレーヌ、デニース、デルロイの5人で構成され、父親のバスター・ピアソンがマネージャーを務めていた。最初のレコーディングが行われたときに最年少のデルロイはわずか12歳であった。T5はジャクソン5としばしば比較され、ドリスも彼女の素晴らしい一瞬として「結婚の日にマイケル・ジャクソンと踊ること」と述べている。

ジャクソン5は1997年にロックの殿堂に、1999年にヴォーカル・グループの殿堂にそれぞれ迎えられた。さらに、"ABC"と「帰ってほしいの」の2曲がロックの殿堂の「ロックを形作る500曲」に選ばれている。

1981年、モータウンは、全世界でのジャクソン5モータウンからのアルバム・シングルの総売上げが1億枚を突破したと発表した。エピック・レコードは1984年末にジャクソンズのレコードのセールスが3,000万枚を越えたと発表している。

なお、2009年11月にはジャクソン5の未発表曲集「帰ってほしいの! アンリリースト・マスターズ」がモータウンからリリースされる事になり、ジャクソン5は世界から再注目を浴びる事となった。